CHICAGO シカゴ
2010年6月4日-6日
 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
2010年6月9日-7月4日 赤坂ACTシアター

脚本・初演版演出・振付: ボブ・フォッシー Bob Fosse
作曲: ジョン・カンダー John Kander
脚本・作詞: フレッド・エッブ

オリジナル・ニューヨーク・プロダクション演出:
 ウォルター・ボビー Walter Bobby
オリジナル・ニューヨーク・プロダクション振付:
 アン・ラインキング Ann Reinking
再演出 スコット・ファリス Scott Faris

[日本版スタッフ]
再振付: ゲイリー・クリスト Gary Chryst
音楽スーパーバイザー:
 ギャレス・ヴァレンタイン Gareth Valentine
演出: メリッサ・キング Melissa King
演出スーパーバイザー: 吉川徹
指揮/音楽監督: 上垣聡

CAST(登場順)
ヴェルマ・ケリー アムラ・フェイ・ライト Amra-Faye Wright
ロキシー・ハート 米倉涼子
フレッド・ケイスリー 大澄賢也
フォガーティ巡査長 中尾和彦
エイモス・ハート 金澤 博
リズ 森実友紀
アニー 原田薫
ジューン 伯鞘麗名
ハニャック ジェニファー・ダン Jennifer Dunne
モナ 宮菜穂子
ママ・モートン 田中 利花
ビリー・フリン 河村隆一
メアリー・サンシャイン H. Masuyama
ゴー・トゥ・ヘル・キティ 杵鞭麻衣
ハリー 神谷直樹
ドクター 坂本まさる
アーロン 大谷健
判事 中尾和彦
廷吏 坂元宏旬
ハリソン 坂本まさる
陪審員 青山航士

*SWING
 仙名立宗
 羽山隆次
 鴨志田加奈
 白木原しのぶ
*メアリー・サンシャイン アンダースタディ KAWASHIMA
 
MEMO
 1975年、ブロードウェイで初日を迎えたボブ・フォッシーの代表作。BWでヴェルマ役をつとめるアムラ・フェイ・ライトさんが日本語で出演、ハンガリー語しか話さないハニャック役にやはりBWからジェニファー・ダンさんが出演、というミュージカルファンには見逃せない舞台として話題を呼びました。言葉の壁を越えてキャラクターをストレートに伝える実力に支えられ、輝くように魅力的なプラチナブロンドのヴェルマ、言葉の通じない一人ぼっちの哀愁を漂わせるハニャックに毎回引きつけられましたよね。
 現代でさえ衝撃的な内容のこの作品、初演でも大成功を収める一方、スキャンダラスな作品として批判の的にもなりました。発表年のトニー賞は「健全なショー」である『コーラスライン』に全てさらわれる形になりましたが、2010年現在BW公演なんと14年目のロングラン記録更新中、という『CHICAGO』の作品生命の長さは、時代を超える普遍性の証明でしょう。
 ミュージカルの設定は禁酒法時代のシカゴ。24年の殺人事件で逮捕された実在の女性二人をモデルにした、ジャーナリストのモーリン・ダラス・ワトキンスの戯曲が原作です。無罪放免のために手段を選ばない彼女たち、そしてその二人を部数を伸ばす材料として利用するマスコミの姿は、誇張ではないとか。
 シカゴでの上演が大成功を収め、26年12月ブロードウェイ初演を迎えますが、シカゴ生まれのフォッシーがお母さんのお腹の中にいたころですね。運命はこのころから始まっていたということでしょうか。ツアー公演が組まれ、さらに映画化と大ヒット、サイレント時代末期の華となりました。この頃のトリビアはなんといっても、『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルが初演時のツアー公演にエイモス役で出演していたことです。あんな存在感のある人がミスター・セロファンとは・・・。トーキー時代の大スターを育てた作品でもあるんですね。
 そして大スター、ジンジャー・ロジャースが27年の映画をリメイクした作品(42)を見たグウェン・バードンがフォッシーにミュージカル化を提案します。が、原作者のワトキンス女史が、敬虔なクリスチャンになっていたため、この自作を再び世に送ることを嫌い、許可は得られませんでした。69年の彼女の死後、やっと遺産管理人との契約にこぎつけ、この作品はフォッシーのものになりましたが、作品と同じ時間を生きている彼にとって、文字通り命がけの作品になろうとは、誰ひとり予想していなかったに違いありません。





only one  Close Up
↑↑青山さんにフォッシー&フォッシー作品について語ってもらいました。ぜひご覧ください♪
 1972年、トニー賞(『Pippin』受賞は73年)、アカデミー賞(『キャバレー』)、エミー賞("Liza with a 'Z'")の三冠に輝き、エンターテインメントの帝王と呼ばれたボブ・フォッシーが、心臓手術を伴う入院を経て完成させた作品です。
「帝王」として失敗はゆるされないというプレッシャーのもと、 『CHICAGO』を創り上げるフォッシーの心身を削るような毎日、そして心臓発作による臨死体験は彼自身の手によって76年の自伝的映画『オール・ザット・ジャズ』に描き出され、カンヌ映画祭グランプリという栄光を彼にもたらしました。
 自分の死までもショーにしたその後のフォッシーの作品には、鬼気迫る、というのがぴったりの才能のほとばしりが感じられると同時に、先を見据えて、才能を見つけ、育てる視線も感じられます。
 たとえば"Dancin'(78)"のクレジットを見ると、のちにリバイバル版『CHICAGO』を監修するアン・ラインキングは勿論のこと、日本をはじめとする『CHICAGO』海外プロダクションの指導者ゲイリー・クリスト、『FOSSE』改訂振付のチェット・ウォーカー、『TOMMY』でトニー賞振付賞を受賞しブロードウェイの振付家として活躍するウェイン・シレントなど、現在のエンターテインメントを牽引する顔ぶれが並びます。彼らによってフォッシーの遺産が単なる焼き直しではなく、新たな「創造」として上演されていることが、アメリカならではの「継承」の形なのかもしれません。
 フォッシーがお母さんのお腹の中にいた頃に戯曲『CHICAGO』がBW初演を迎えたことも運命的な感じがしますが、76年2月生まれの青山航士さんも、フォッシーが心臓手術を終えて『CHICAGO』(75年6月3日ブロードウェイ初演)のリハーサルを再開した頃、生を受けたことになります。青山さんはリハーサル中の怪我が完治しないままの出演だったとのことですが、客席からはそんなことはまったくわからない、研ぎ澄まされた演技を見せてくれました。この作品が青山さんに見せたものすべてが、今後大きな実りとなっていく、そんな気がしています。